KIYONORI MATSUO |
杉さんのSOULMATEである松尾清憲さん。
Piccadilly Circus、Monkey Forest Band、BOX、杉松針葉林バンド(笑)と
たくさんのバンドで一緒に活動しています。
杉さんと松尾さんの共作している曲もたくさんあります。 |
1951年 |
12月5日 福岡生まれ
野球少年だった
高校時代は校則により坊主頭
(大学時代と同じ位の長さという今の髪型はその頃の反動か)
バレーボール、卓球、軟式テニスとスポーツに勤しむ |
1971年 |
4月 九州大学工学部入学、白衣の天使となる
実験中にドライブに出かけ帰ってきたら爆発していたという逸話まゆみ
この頃ピアノ購入、独学にてマスター |
1972年 |
4月 福岡のフォークフェスティバルにて初ステージ
2年後にはライブハウスなどにも出演 |
1976年 |
3月 卒業 |
1977年 |
7月 上京、その後一色進さんとシネマ結成 |
1980年 |
4月21日 ムーンライダーズの「綿の国星」のいじーめ
ではなく、イメージアルバムでヴォーカルデヴュー!
初々しい歌声を披露
4月25日 シネマ「Good-Bye Heart Break」でシングルデヴュー
そのポップセンスに鈴木慶一さんも思わずトイレから飛び出す
ハウスコーヒーゼリーのCMにキヨうされる
5月23日 TV初出演 |
1981年 |
2月1日 ブリティッシュ満開のアルバム「MOTION PICTURE」発売
全編映画のワンシーンのようなカラフルさ
プロデュースはムーンライダーズの鈴木慶一さん
シングル第2弾「君のプリズナー」発売
(ミノルタX7イメージソング)
5月 「雨のチャイナタウン」発売
アルバムに収録されていないため幻のシングルに(望CD化!)
7月26日 渋谷ジャンジャンにて初ステージ
9月 なのに、新宿ルイードで突然の解散宣言 |
1982年 |
作曲に専念、100曲近い曲を書き溜める
他の方にも多数の曲を提供
初めての提供曲は杏里「ヘッドライト」 |
1984年 |
10月25日 満を持して「愛しのロージー」でソロデヴュー
(スズキ、ニューセルボCMイメージソング)
明るくポップでありながら、かつ切ないメロディー
イギリスこぶしのまわる心地よいウォーカル
白井良明さんの印象的なギターフレーズとアレンジ・・
名曲の誉れ高く、'99年発売の20世紀ベストにも収録される
大学祭を含むライヴ活動
歌とヴィデオとパフォーマンスの組み合わせが話題に |
1985年 |
2月25日 (大切に、何度もくりかえし聴いた)シングル盤にこだわり
2ndシングル「Juliet」リリース
4月1日 嘘のようにすばらしいアルバム「SIDE EFFECTS」発売
ポップスとは?という答えがここにすべて詰まっている
サンフランシスコロッケによるヴィデオも同時発売
4月 東海ラジオ「松尾清憲のポップ・トリップ」放送開始
ムーンライダーズオフィス内ファンクラブ結成
(名称は後に”松尾ゼミナール”)
9月 宝島10月号より「BEAT POPS」誌上DJ連載開始
9月30日 12インチシングル「SUICIDE in MAY(MAD MIX×2)」発売
11月25日 4rdシングル「ムーンライトランデヴー」発売
トロピカルブレンドな2ndアルバム「Help!Help!Help!」発売
白井良名さんとのゴールデンコンビますます冴える
'85のぴあテンで杉真理さんが「今年のコンサートで
もっともすばらしかったと思うアーティスト」に松尾さんを
CATV「MUSIC HOT LINE」のヴィデオジョッキー
ポップギア「ポップス紳士録」連載 |
1986年 |
4月2日? FM横浜「ポップス泥棒」DJ開始
財津和夫さんも毎週聴いておられたとか
5月25日 両A面の5thシングル発売
「30−0」はオーシャンウィスキー30-0のイメージソング
「ふたつの片想い」は永遠のせつなソングNO.1!
この頃から積極的にライヴ活動開始
7月16日 杉真理さんのSABRINA「Japanese Boy」にコーラス参加
以後コーラス、作曲で多数の杉さんのアルバムに参加 |
1987年 |
3月25日 3rdアルバム「ノーサンキュー」発売
収録曲の「OH!キャロライン」は
AKAI・GXコンボのバックミュージックに
6thシングル「サニーシャイニーモーニング」発売
ご存知アニメ「めぞん一刻」テーマ曲、今もカラオケで歌える
10月 杉さんの「神様がやってみたらどうだ」発言によりBOX結成
11月25日 ベストCD発売
「愛しのロージー」や「ふたつの片想い」
「5月のSUICIDE」のシングルヴァージョンに加え
今までアルバム未収録だった「30−0」も収録
CHART3号にて「ドクター・マッド・MATSUOのポップス講座」連載
TVK「極楽とんぼ」司会 |
1988年 |
3月21日 BOX「風のBad Girl」でカレーが食べたい・・ではもちろんなく、華麗にデヴュー
5月5日 1STアルバム「BOX POPS」発売
ビートルズ前期と60年代ポップスのテイストを見事に再現
ヴォーカルと同じくらいにコーラスが印象的 |
1990年 |
2月 CATV「Hey!Mr.Popper」ポップス部門ヴィデオジョッキー
3月21日 2ndアルバム「Journey To Your Heart」発売
前作にも増した色気、ではなく色彩感に70年代が薫る名盤
なんとワルツまで聴くことができる |
1991年 |
3月 POP・IND'S4月号より「THE SENSE OF BRITISH ROCK
MAD松尾のポップ・ルネッサンス」連載開始 |
1993年 |
9月9日 鈴木雅之リリースの「恋人」がヒット
(「サスペンス明日への13楽章」主題歌)
2ndアルバムより常に曲を提供
自身への楽曲とはまた違った魅力でファンのハートを直撃
この間常にライヴゲスト、楽曲提供、アルバム参加などで活動 |
1996年 |
9月6日 杉真理さん他ビートルズに造詣の深いオヤ・・アーティストとPiccadilly Circus結成
池袋アムラックスホールにてデヴューライブ
それぞれの多才な多彩な経歴にもかかわらず
同窓会的限定ユニットに留まらず新た冒険の旅に出る |
1997年 |
3月? そのかたわら、杉真理さんらと訪れたバリ島に魅せられ
MONKEY FOREST BANDを結成
ライヴでは溢れるトロピカルな光と風と緑の匂いで聴く者の心を解きほぐしてくれる
11月21日 オムニバスアルバム「Winter Gift Pops」発売
ソロおよびBOXとして参加
山下久美子に提供した「Sleeping Gypsy」を自らカヴァー
冬の夜に心温まる名曲 |
1998年 |
10月30日 JUNままによる初のHP「松尾ちゃまのお部屋」開設
11月26日にはなんとご本人から初の書き込みも!
ほぼ1ヶ月に1度のメッセージは心のオアシス |
1999年 |
Piccadilly Circus、MONKEY FOREST BAND、BOX、
そしてソロとしてのそれぞれ全くちがった魅力を発揮し精力的にライヴ活動を続ける。
又、クラブでも楽曲がかかり人気を博す
1月21日 Piccadilly Circusデヴューシングル
「Baby it's allright」発売
(NHK-BS2「新・真夜中の王国」オープニングテーマ)
ライヴで魅了したファンをそのグラマラスな出来映えで感嘆させた笑劇のCD
C/Wの「メリーゴーラウンド〜恋の道化師」でヴォーカルを堪能
2月20日 アルバム「Piccadilly Circus」発売
贅沢に移り替わるヴォーカル、華やかなコーラス、
凝りに凝った肩・・ではないアレンジ、煌めく70年代ポップス、
ロックが薫るゴージャスな1枚。
メンバー6人+2人の個性を倍増ならぬ乗増(?)させた
お得なアルバムでもある
10月25日 ソロデヴュー15周年にあたり私設ファンクラブBridges設立(BY:Miki)
暖かいコメントをいただき応援するつもりが逆に応援していただくことに |
2000年 |
3月10日 ストレンジデイズレーベルより
待望のソロミニアルバム発売決定!
BOXメンバーの小室和幸さんと共にセルフプロデュース「Brain Park」
(全5曲新曲)
「綿の国星」、シネマでのデヴュー20周年を迎え
さらなる活躍が期待される |